"BE-BOP" - イギリスではそれを"ジャズダンス"と呼ぶが、それは単に人がジャズ音楽にあわせて踊ることを指す。USジャズやコンテンポラリースタイルと混同されるべきではない。いわゆる「ジャズダンス」とは性質を異にするUKクラブ独特のダンススタイルが、日本では「BE-BOP」と名付けられたのも、そういった要素を考えればうなずける話である。UKジャズダンス(以下誤解を避けるためBE-BOPと称する)は40年代のFast swing、50年代のHard bop、70-80年代のFusion、そしてすべての時代を通じてラテン音楽で踊る人達にルーツを持つ。この典型的UKダンスシーンは、特に70年代中後半のJazz funk、Jazz discoのクラブで発展していった。Miroslav Vituousの"New York City"やLonnie Liston Smithの"Expansions"から、Johhny Hammondの"Shifting Gears"までに渡るトラックや、CTIレーベルのSoul-JazzサウンドをまわしていたDJ達は、しだいに当時登場したJohn Klemmerの"Brazilia"やChick Coreaの"Central Park"といった新しいJazz Fusionレコードを実験的にとり入れていくようになった。アドベンチャーなダンサーでクラブをうめつくすため、また彼らの要求を常に満たすため、音楽は絶えず探求されつづけ、より速く、より深くなっていった。
       
イギリス南部のChris Hill(Goldmine/Lacey Lady)、Bob Jones(D.J's)&Later、Paul Murphy、また北部のColin Curtis(特にBerlinというクラブでプレイ)らの存在なくしては、Art BlakeyやJohn Coltraneで踊るということはありえなかっただろうし、John Lucienの高揚した声を聞くことも、Tito Puenteの計りしれない才能を感じることもなかっただろう。Acid Jazzの動きそのものも起こらなかったであろう。BE-BOPスタイルのダンスが生まれたのは、こういったDJ達のいるクラブなのである。たとえば、ロンドンではFision styleが発展していく一方、同時にイギリス北部ではいわゆるNorthern Jazz(ノーザンジャズ)ダンススタイルが登場した。Jazz/Funkスタイル(つまりJames BrownやDisco style)で踊ることに慣れたダンサー達が、より速いテンポのFusionやラテントラックで踊るようになったのは、70年代後半であり、と同時に(いくつかのクラブでは)PrestigeレーベルサウンドやLou Donaldsonといったアーティストが聴かれるようになった。80年代になると、レコードは次第にヘビーなtuneになる。たとえばJanet Lawson Quartetの"So High"やJon Lucienの"Listen Love"がそれである。このあたりがいわばBE-BOPスタイルのステップ、というよりもBE-BOPダンスシーンそのものの確立である。ところが"Listen Love"といったトラックは、あまりにも速いうえに、4分の4拍子をとっていないため、たいていの人は一度聴いただけで容易に踊るのはほとんど不可能に近かった(このためAcid Jazzムーブメントはのちにジャズに4分の4拍子をとりいれ一般客にも受け入れられるようになった。)。BE-BOPスタイルの特質は、音楽がしだいに真のJazz rhythmsへと変容していったことにある。たとえばHerbie Hancockの"Shiftless Shuffle"(Jazz-Funk&Bebop時代初期に演奏された)といった明確な4分の4拍子を持つトラックがArt Blakeyの"A Night in Tunisia"といった混沌にとってかわられていった。
       
このような音楽はあまりにアグレシッブで、中にはかなり反社会的なものもあったため、一度アンダーグラウンドにもぐり、BE-BOPシーン真の発祥の地"Electric Ballroom"では、最もヘビーで最も妥協を許さないものとなった。Paul Murphyがそこでダンスミュージックを全く新しいレベルへと転換させたのである。アグレッシブなJazz fusionにあわせて、速いステップが発達したのは、ロンドン、カムデンタウンにあるこのElectric Ballroomなのである。Electric Ballroomでの基礎的なJazz Fusionステップは「コックローチストンピング(あるいはクラッシング)」と名づけられた。足をツイストさせる格好がゴキブリを踏み潰しているポーズに似ているからだ。そして、ステップのバリエーションは"footing"または"tappers"として知られるようになり、新しい若いダンサー達、特に黒人達を魅了した。優れたセンスを持つ彼等達はクラブに集合し、ダンスのバトルを通じてお互いに学び、そして磨きあった。もちろんそのダンススタイルは先導者達がいて、BE-BOPダンサー達はロンドン各地から押し寄せるよりになり、1984年にはついに"I.D.J"(I DANCE JAZZ)というBE-BOPチームが結成された。I.D.JのリーダーでありBE-BOPシーンの先導者であるJerryは、ロンドンのBE-BOPダンサー達のプリンス的存在である。BE-BOPスタイルをダンスマップに載せたのはI.D.Jであり、I.D.Jがよりオーガナイズされるにつれて、ミュージックフェスティバルやテレビでのダンサーとして招かれるようになり、チャンネル4の"Father Time"というドキュメンタリーでのArt BlakeyのJazz Messenger特集にも出演した。世間の注目が集まるとともに、Paul MurphyはElectric BallroomでのDJを18歳のGilles Petersonに譲り、Jazz musicはイギリス各地に広まり、イギリス中のクラブで聴かれるようになった。
一方イギリス北部では、DJ Colin Curtisが似たようなミュージックスタイルをBulenoteレーベルからの古いJazzトラックとミックスして、クラブ"Berlin"でまわしていた。イギリス北部のBE-BOPスタイルがバレエの要素などを織り交ぜて発展したのはクラブBerlinであり、その一例を北部出身のBE-BOPチーム"Brothers in Jazz"に見ることができる。バレエの要素とスウィングダンスの動きを合わせることにより、Brothers in Jazz(IRVEN、WAYNE、TREVOR)は、BE-BOPスタイルのダンスをより個性的で明確なスタイルに変えた一方、ロンドン南部ではFusionスタイルがTapスタイルのステップやTrickyなフロアムーブの要素をより多く取り入れ始めた。こうしてイギリス各地で、さまざまなBE-BOPスタイルが生まれ確立されていった。クラブのダンスフロアーの中ではNorthern Jazzスタイルを合わせ持つ北部のBE-BOPスタイルが最も優美なBE-BOPスタイルと言えるだろう。しかしながら皮肉にも、これがBE-BOPダンスシーンが今まで、アンダーグラウンドにとどまり続けるであろう理由の一つでもあるのだ。つまり、高速のステップの感覚をつかむまでかなりの練習を必要とするのである。たいていのクラバーにとって、ダンスフロアではダンサー達が早いスピンやジャンプ、トリックなどのウルトラフットワーク、フロアムーブといったBE-BOPスタイル独特のテクニックを披露しているのである。気軽にリズムにのるどころの話ではないかもしれない。次第により多くの人々がBE-BOPスタイルのダンスにハマるようになりイギリス中に広まるにつれて、音楽もよりフレンドリーになりBE-BOPサウンドもより規則的なドラムビートをピックアップするようになった。これがAcid Jazzムーブメントの前衛である。ハードコアBE-BOPダンサー達はBE-BOPスタイルに固執し、ヘビーな曲をまわすDJのもとにとどまった。この時期イギリス中のクラブでDJ達がBE-BOPスタイルのレコードをまわしていた。
       
       
発展するクラブシーンに触発され、DJ達やコレクター達は、過去のテンポの速いJazzトラックを探すようになる。というのもそれがダンスフロアーの材料として間違いのないものを持っていたからだ。Gilles Peterson、Chris Bangs、Kevin Beadle、Patrick Forge、Jez Nelson、Sylvester、Bazz for Jazz、Phil Levine、Bob JonesらDJ達の努力により、新しいBE-BOPクラブナイトがあちこちで始まった。そしてクラブイベントの週間カレンダーは日曜午後のDingwallsで最高潮を迎え、あらゆるタイプのジャズ、ラテン、ブラジル音楽、フュージョンが熱狂的なクラブシーンの中、流された。Mark Murphyの甘いボーカルとJimmy Smithのオルガンを同じクラブで聴けたのはこの頃であり、またJazz Juiceコンピレーションの続篇にインスピレーションを与えたのは言うまでもなく、Acid Jazzムーブメントの前衛となるものがDingwallsから発展していったのもこの頃である。80年代後半のAcid Jazzムーブメントについての善し悪しは別にして、たくさんの素晴らしい音楽が発掘され、新しいものを受け入れることに寛大な世界中のダンスフロアーでJazzベースの音楽が広がっていった。元来のハードコアBE-BOPダンスは、拠点を離れたわけでは決してないが、一度アンダーグラウンドにもぐり、そしてロンドンHoxton Squareのブルーノートでの、Snowboyによる今や伝説的なHI-HATセッションとともに復活した。そして、今日BE-BOPスピリットを存続させているのもまた、Snowboyなのである。

BE-BOPダンスセッションでライブアクトを行うのは、JazzバンドがソーホーのWag clubやDingwallsで演奏してからという頃からの伝統であるが、HI-HATがカムデンのJazz Cafeに移動してからというもの、空前の伝説BE-BOPダンスバンドがUSから招かれてくるようになる。Pucho、Eddie Palmieri、McCoy Tynerといったダンスバンド達、そしてBE-BOPスタイルを21世紀へと導くIrven Lewis(Brothers in Jazz)や、 Perry LewisのいるJazzcotechといったBE-BOPチームなどのダンサー達だ。BE-BOPはついに日本に上陸し、日本のダンサー達は、生のUK BE-BOPシーンに触れるためイギリスへと巡礼の旅を重ねてきた。そして今ではUK BE-BOPスタイルを継承するため、BEBOP SQUAREというイベントに拠点を置く。しかしながらBE-BOPダンスにとって、コアの要素は"音楽"であり、John Coltrane、Horace Silver、Airto、Richie Cole、Jon Hendricks、Sabu、Joyce、Duke Pearson、Ella Fitzgerald、Dave Pike、Azar Lawrence、Miles Davis、Elis Regina、Shihib Sahib、Dom Um Romao、その他もろもろの音楽を、まわし、聴き、踊り、満喫することにあるのである。BE-BOP(UK JAZZ DANCE)、それは真のアンダーグラウンドダンスシーンなのだ。

Text: Lincoln / Translation: Kyoko Shirai